フラ猫の名刺です。
2011年03月14日 (月) | 編集 |
福島県二本松市在住。
3月11日14時46分。
フラ猫こと黒森歩は財務省東北財務局福島財務事務所の2階オフィスで事務作業をしておりました。
地震発生時、当初はカタカタ揺れるものが、一昨日あった地震と同様のものだと思い地震を無視しパソコンへの打ち込み作業をしておりました。
揺れは次第に大きくなり、棚の上にあった書類が宙をとびました。
食器棚から飛び出したたくさんの食器が目の前で割れました。
私は机の下に避難。
その机もガタガタ横に揺れました。
それはそれは強く長い揺れでした。
一瞬、揺れが小さくなりました。
もう収まったかと安堵した瞬間、
大きな音がして、最大の揺れが襲いました。
建物がきしみ、書類が落ち、食器が割れ、蛍光灯が落下。
何が起こっているのか、
恐怖が次から次へと沸いてきて、早く揺れが収まって欲しいと祈るばかりでした。
揺れが収まり、余震が続く中、みんなで外の駐車場に避難。
余震のたびに建物がギシギシと音を立て、今にも崩れるのではないかとおびえました。
外に出てみると、屋内にいたであろうたくさんの人々がいました。
目の前の公会堂の駐車場でも、大勢の人が建物を不安そうに見つめていました。
それから強い余震が2,3回ほど続きました。
そして、停電。
信号も止まり、交通は大渋滞。
国道などお互い譲り合いで走っている状態だが、誰も誘導する人がいなく大きな地震を体験した後で、譲り合い精神も乏しくなってきている状況でした。
市内は大混乱。
石壁は崩れ落ち、壁がはがれた家。
救急車両のサイレン。
不安そうに外に出ている人々。
追い討ちをかけるかのように降りだした、強い風を伴った冷たい雪。
目に映る光景すべてが私の不安を掻き立てました。
すぐに車に飛び乗り自宅を目差しましたが、度重なる余震に車が何度も揺れました。
大渋滞で、いつもなら30分の帰路がこの日は3時間かかりました。
それもいつもの道ではなく、大きく迂回して。
電話が普通の今、家族の安否が気がかりでした。気持ちは焦って急ぐばかりで、普段ならほとんど走ることの無い道-あまり人の通らない山道でアスファルトが陥没している道路をギリギリのラインで走行。
ようやく自宅に着いた頃には日がすっかり落ち、寒い夜を迎えました。
自宅も損傷箇所が多く、修復を必要としている状態でした。
倒壊はしていないので、屋根があって、眠れる場所があることをありがたく思い、その日は眠りにつきました。
3月11日14時46分。
フラ猫こと黒森歩は財務省東北財務局福島財務事務所の2階オフィスで事務作業をしておりました。
地震発生時、当初はカタカタ揺れるものが、一昨日あった地震と同様のものだと思い地震を無視しパソコンへの打ち込み作業をしておりました。
揺れは次第に大きくなり、棚の上にあった書類が宙をとびました。
食器棚から飛び出したたくさんの食器が目の前で割れました。
私は机の下に避難。
その机もガタガタ横に揺れました。
それはそれは強く長い揺れでした。
一瞬、揺れが小さくなりました。
もう収まったかと安堵した瞬間、
大きな音がして、最大の揺れが襲いました。
建物がきしみ、書類が落ち、食器が割れ、蛍光灯が落下。
何が起こっているのか、
恐怖が次から次へと沸いてきて、早く揺れが収まって欲しいと祈るばかりでした。
揺れが収まり、余震が続く中、みんなで外の駐車場に避難。
余震のたびに建物がギシギシと音を立て、今にも崩れるのではないかとおびえました。
外に出てみると、屋内にいたであろうたくさんの人々がいました。
目の前の公会堂の駐車場でも、大勢の人が建物を不安そうに見つめていました。
それから強い余震が2,3回ほど続きました。
そして、停電。
信号も止まり、交通は大渋滞。
国道などお互い譲り合いで走っている状態だが、誰も誘導する人がいなく大きな地震を体験した後で、譲り合い精神も乏しくなってきている状況でした。
市内は大混乱。
石壁は崩れ落ち、壁がはがれた家。
救急車両のサイレン。
不安そうに外に出ている人々。
追い討ちをかけるかのように降りだした、強い風を伴った冷たい雪。
目に映る光景すべてが私の不安を掻き立てました。
すぐに車に飛び乗り自宅を目差しましたが、度重なる余震に車が何度も揺れました。
大渋滞で、いつもなら30分の帰路がこの日は3時間かかりました。
それもいつもの道ではなく、大きく迂回して。
電話が普通の今、家族の安否が気がかりでした。気持ちは焦って急ぐばかりで、普段ならほとんど走ることの無い道-あまり人の通らない山道でアスファルトが陥没している道路をギリギリのラインで走行。
ようやく自宅に着いた頃には日がすっかり落ち、寒い夜を迎えました。
自宅も損傷箇所が多く、修復を必要としている状態でした。
倒壊はしていないので、屋根があって、眠れる場所があることをありがたく思い、その日は眠りにつきました。
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